SAPIOという雑誌に広告が載っていた。
あの時代を生きた成年男子なら嫌な思い出と共にあるアレである。
三八式歩兵銃だ。
無論レプリカではあるが。
銃剣まで付いている。
この銃は当時から命中率を重視しまた殺傷力は他の国のと比べ低くなってるのだが
それは戦場での負傷者の後送には二人要るという考えだからである。
つまり一つ当たれば三人の兵隊が目の前から居なくなる。という常に弾薬不足という帝國陸軍には最適だったわけ。
ちなみに三八式の名称は明治38年ちょうど日露戦争後の終わった年だ。
一発ずつ装填して撃つのではあるが対米戦においては1942年のガダルカナルで米海兵隊と交戦した際はあちらの半自動小銃M1ガーランド8連発に対し明らかに威力不足を露呈するもその時に日本にまともな自動小銃を作る力はなかった。
もし出来てたら多分、弾薬不足が史実以上に深刻になって多くのそれはは槍になってだろう。
うちの爺さんがこれ担いで大陸に敗戦まで居ました。後継の99式小銃(単発でしたが7.7ミリ弾で38の6.5ミリよりは威力大)は一部の部隊にしか配備されずそれは38と口径から違うため弾薬を共用出来ず。
前線での苦労は計り知れないものがあったとか。弾があっても撃てないなんて場面が続出で。
ちなみに
値段は結構する。
昔の映画とかで
「三八式歩兵銃殿申し訳ありませんでした」と新兵が古参兵や鬼軍曹にやらされるシーンがあるがあれは本当だと旧軍兵士は言ってたなあ。
コメント
殺傷能力をあえて低くしていた事、勉強になりました。20年位前に無可動銃の三八式歩兵銃が売っていたような記憶があるのですがこのレプリカよりも安かったような。レプリカも高くなりましたね。MG34の無可動銃は当時50万円位、今でも買えるのでしょうか。
日本軍は小銃では遅れをとってたけど
「擲弾筒」では進んでたよね。アメリカは最後まであれは出来なかった。日本もまともな対戦車砲が・・・だったが。
そうそうMG34のかあ、よほどマニアですな。
38も多分あれ以上威力を上げていたら反動が強すぎて命中率も悪くなってた思う。
現に38は後継の99式より音も小さく発砲炎も見えなかったので待ち伏せには最適だったとか。