昔日の繁栄 

GRD4 社会問題 行って来た

仕事で通る一宮市はその昔に繊維業でで栄えた街で
「がちゃマン」とノコギリ屋根の工場で機織り機が「がちゃ」一回言えば「万」が降りてくるそんな時代があった。

そんな頃ここはいつも人が一杯歩いてた。

やがてオイルショックに安い外国製品で衰退し広かった工場の跡地は大型ショッピングセンターになりまた人々の移動手段が車になってその変化についていけなかったこの商店街はもはや「時代遅れ」のものとなってしまった。

そしてその反映の象徴であったアーケードが老朽化を維持費が出せなくなったとのことで危険なため撤去と相成った

一宮市の象徴たる真清田神社から眺めた本町商店街
撤去は今月中旬から始まっている

近づくとこんな感じ夏な感じのくすんだ空を目に出来る

交通をある程度遮断してだまた夜は完全に封鎖してだそうだ。

アーケードに這わせてあった電線は今度から電柱を通される。その工事もされていた

ちょっと前からこの商店街を「コスプレ」で盛り上げようという機運があるのだ。

ちなみにかなり昔のためアスベストの心配も考えられてたがそれはないそうで

今の日本の地方都市の商店街がそうであるようにこういった廃業してそのままになってる店舗も多いのだがここは


空き地もよく目にする


ここなんかいつから放棄されているのか?
今は存在してない携帯PHS会社のが多い看板だ

こういった「歯抜け」が目立つ

来た道を振り返ると。ここからあそこまでが撤去されることが分かる
でこの先は


新しいのだった しかし人はまばらだ。
でも状況はそう変わらない


ほんと奥行きがあったんだなあと思わせる

横道を眺めるとそこには新しいものが建てられようとしていた

もう夏だ

久しぶりに来たのだがこれはこのままだった。空中の室外機
北京五輪前の金属泥棒にも遭わなかったわけだ

しかし不思議だ なんで途中からアーケードが違うのだろうか?確執か?

この通りが賑やかだった頃は北海道は遠い遠いところだったんだろう外国と同じ様な

今年の七夕祭りアーケードがなくなり夜空に何がたなびくのか?


「安倍さん 一体何を取り戻すんだい?」
5/20 愛知県一宮市本町通商店街 GRD4にて

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“昔日の繁栄 ” への4件のフィードバック

  1. いちこ より:

    最後の画像・・シャッターに貼られた安倍さんのポスター
    何だか深い取材です。

  2. 烈風 より:

    いちこさん
    この街に人が溢れるように歩いてた時代を知ってるだけに感慨深いものがありました。
    またこの街の病院で産まれて後にここでボランティアながらも日本語教室で外国人に教えることにもなったのは縁というか。

    そのボランティアに誘った友人二人がそれがきっかけで外国に行ってしまったのも。

  3. teru より:

    私の両親も一宮の繊維工場で働いていました。
    その後柳ケ瀬へ引っ越していきましたが
    柳ケ瀬のアーケード街も寂しくなりました。
    でも一宮の方が衰退の度合いが・・・・。
    ここを再開発するには相当な時間もお金も・・・アベノミクスに期待?

  4. 烈風 より:

    teruさん
    そうでしたか今一宮の繊維工場というのは細々としたものになりました。ノコギリ屋根も放置されてるとこも多いです
    一宮の場合、名古屋に近いというのも衰退の原因でしょうね。JRだと10分なんですよ。

    そうそうその昔、九州から集団就職とかで使われてた紡績工場の寮は今も幾つか残ってますがそこには日本人でなくベトナム人が住んでたりします。5人部屋に二人とか。ただ自炊なんですよ。

    教え子にそういう子たちが結構居ました。

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